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この後祭りは49年振りに再開されるとのことであり、
また150年振りに大船鉾が復元されて巡行するということでもあり、こちらは見逃すわけにはいきません。
自宅近くのバス停を8時半に乗り、京橋を京阪の9:17特急で、10時過ぎ祭りの地、祗園四条駅に到着。 地上へ出ると丁度、八坂神社を出た花笠巡行の先頭が来たところでした。
ここで2、3枚撮って西へ河原町通りへ向かいました。
山鉾の巡行は未だ先頭が到着しておりませんでした。
東が陰で西は日が照っているが人は多少、少ないようなのでとっさの判断で西側へ渡りましたが、撮影には逆光かなとも考えましたが、適当な場所取りが先決です。
歩道の一番外側のアーケードの柱の横に小さなリュックを置きました。このリュックには秘密兵器が隠されてるのです。
実はリュックの中に小さな金属製のゴミ箱が入っております。 両足が何とか載せられるスペースがあり、ここに立つわけです。
非常に不安定なので支えの柱が必要なのです。
高さは25cm位ですが、この脚立が大変有効なのです。
少し方向を変える時は柱を頼りにバランスを考え体の向きを調整しています。
先頭の「橋弁慶山」か到着、牛若丸と弁慶の姿から始まりました。二番手の「北観音山」は数少ない大車輪を備えた鉾です。一番最後の10番目は本日のおお目当ての大船鉾です。
先日 TVで祇園祭の山鉾に飾られているタペストリーや絨毯の話がありました。
その中には有名な西洋絵画に描かれている絨毯がどれなのか、描かれた本国では見つからなかったが、山鉾の飾りの中にあったという解説がありました。
そういう意味では後祭りの山鉾の前後左右等に飾られている織物は当時の世界最高級品や珍しいが見られるわけなのですが、動く美術館です。
四番目の「浄妙山」の武士のオブジェの素晴らしいものです。 「鈴鹿山」のサイドの紅葉の織物は綺麗でした。「南観音山」も北と同じような鉾です。
七番目の「鯉山」は大きな鯉が祀られて西洋の図柄の織物も異国情緒たっぷりです。
八、九番は「役行者山」「黒住山」でした。
最後の「大船鉾」は「凱旋船鉾」ともいわれ、元始元年(1864年)の蛤御門の変で焼失したそうです。
なお 使用カメラはFUJIのW3という立体カメラで静止画のみ100枚ほど撮りました。
光の加減で液晶画面は見ずらく、不安定な簡易・?脚立の上からの撮影でしたので構図上では不満足なものや手振れもありました。
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